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野球殿堂入り:秋山氏・抜群の走攻守 大魔神・佐々木氏
20世紀終盤のプロ野球を彩った野茂英雄、秋山幸二、佐々木主浩の3氏が野球殿堂入りした。プレーヤー部門の資格がなくなった元選手らが対象になるエキスパート部門は20人の候補者がいたが、当選必要数の票を超える人はおらず、2年ぶりに該当者が出なかった。今年の4人を含めて殿堂入りは、184人(競技者表彰85人、特別表彰99人)になった。
プレーヤー部門で、野茂氏は324票の有効投票(当選必要数243票)のうち82.4%に当たる267票を得た。秋山氏は資格7年目で257票、佐々木氏は4年目で255票を集めて殿堂入りとなった。野茂氏は、川上哲治氏(故人)の45歳8カ月を更新する45歳4カ月での最年少殿堂入り。野茂、佐々木両氏はメジャー経験者としては初。次点は巨人監督の原辰徳氏で196票だった。
西武、ダイエー(現ソフトバンク)での22年間の通算成績は437本塁打、303盗塁。秋山氏は1980、90年代を代表する走攻守そろった選手だった。祝福スピーチで、西武時代に同僚だった東尾修さんは「本塁打王と盗塁王を取り、パワーとスピードのバランスがとれた選手。当時の能力をもってすれば、メジャーでも通用していたと思う」とたたえた。
熊本・八代高時代は投手だったが、ドラフト外で入団した西武で打者に専念。「見に来てくれる人が『さすがプロ』と思ってくれるプレーを、簡単にできるようにと思ってやってきた」と話す。西武時代には、身体能力の高さを物語る「30本塁打、30盗塁」を3度達成しているアスリート。その秘訣(ひけつ)について、本人は「自分の体に関して敏感であり続けたことが一番だったと思う」と体には人一倍、気を使っていた。
93年オフにダイエーに移籍後は持病の腰痛に悩まされた。だが、「けがをした時もいろんなことを考え、次に生かそうとしていた。けが自体はマイナスだけど、それをプラスになる発想もできるようになった」とプラス思考に徹した。その経験を生かした打撃は衰えることなく、99年にはダイエーを初優勝にも導いた。
スピーチで、秋山氏は「技術を磨くにも体力がいる。けがをしない体をくれた親の存在も大きかったな」と感謝の言葉を述べた。【百留康隆】
◇「野茂君が一番だ」
○…佐々木氏は、野茂氏と同時の栄誉に喜びを表した。学年は佐々木氏が一つ上だが、同じ1968年生まれでドラフトも同じ年。しかし「ライバル、とは言えない。メジャーに行った日本の選手の中で、野茂君が一番と思っている」と大リーグ移籍の先駆者に敬意を表した。さらにソウル五輪代表チームが佐々木氏がいた東北福祉大で練習したエピソードも披露。「あのとき、彼はすでに日本のエース。すごい差で比べられない」と野茂氏を立てる発言に終始した。
◇秋山幸二(あきやま・こうじ)◇
熊本・八代高から1981年にドラフト外で西武入り。87年に本塁打王、90年に盗塁王のタイトルを獲得するなど走攻守そろった万能選手として活躍。94年にダイエーに移籍し、99年には主将としてチームを初の日本一に導いた。2002年限りで現役を引退。通算成績は打率2割7分、437本塁打、1312打点。08年オフにソフトバンク監督に就任した。熊本県出身。
◇佐々木主浩(ささき・かづひろ)◇
宮城・東北高から東北福祉大を経て1990年大洋入り。92年に最優秀救援投手となり、95年からは4年連続で同タイトルを獲得。98年はリーグ最優秀選手にも選ばれた。2000年に米大リーグ・マリナーズに移籍して37セーブを挙げ新人王に輝き、4年間で通算7勝16敗129セーブ。04年に横浜に復帰して05年に現役引退。日本通算は43勝38敗252セーブ。宮城県出身。
http://mainichi.jp/sports/news/20140118k0000m050138000c.html
【毎日jp より引用】
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Author:スイッチピッチャー
名前の由来:野球好きの両利きで、左右どちらでもボールを投げられることから。
もちろん、ラジオネームも同じ^^だけど、最近はあまり活躍せず…
出身:生まれは京都、育ちは埼玉(・w・`)
好きな球団:巨人…だけど、基本的にはプロ野球全体が好き^^
なんだか、この1、2年でくりぃむしちゅー色が強いブログになっちまった(^^;
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